小学校低学年くらいの頃、サービスエリアとか観光地のお土産コーナーに売っている、剣やドラゴンのキーホルダーがたまらなく好きだった。
いったい何の影響でそれを好むようになったのかはもう思い出せない。
多分、金属製故の重厚感やドラゴンというモチーフが、強烈に僕の所有欲を煽っていたように思う。
ちょっと書くのは恥ずかしいけど、
そういえば家庭科の裁縫セットもドラゴンのやつを選んでいた。
ケースにドラゴンの絵柄が描かれているだけで、中身にドラゴン要素は無い。
あ、Tシャツもドラゴンのやつあったな…。当時の僕はとにかくドラゴン。
ドラゴンは正義だったのだ。
話を戻して。
偶に家族で観光地に出掛けた時は、出先のお土産コーナーでそのキーホルダーを買ってもらうのが一番の楽しみだった。
何処の土産物屋でも売っていたし、どれも同じようなデザインではある。
ただ、形状が全く同じでも色違いがあったり、細部のモチーフが違っていたりして。
それを見つけた時には子供心(ドラゴン心)をくすぐられたものだ。
剣にドラゴンが巻き付いたやつを発見した時なんかは鼻血が出るかと思った。
何処に出掛けようと毎度のように似たような物をねだる僕だったから、親も半分呆れていた。
帰りの車中ではテンション高くそれを手に取って眺めて。
移動が長引いた日はそれを握りしめたまま眠りこけていた。
そうしている内に僕の学習机の引き出しの中は、金やら銀に鈍く光る剣やら盾やらドラゴンやらがジャラジャラしていた。
当時の僕は勉強もそこそこに引き出しを開けて、集まったそれを眺めては悦に浸っていた。
今思い返せばちょっと変な子供だったと思う。
そのキーホルダー達を宝物のように大切にしまい込んでいた僕。
だけど時が経つにつれ、引き出しを開く回数は段々と減っていった。
他の物に押されて、キーホルダー達は引き出しの奥へ奥へと押し込まれていった。
小学校も高学年になる頃には、あれだけ執着していた感情ごとその存在を忘れてしまっていた。
嫌いになったとかではない。
ただ他の物に対する興味がそれを上回っていってしまった。
子供の成長ってそういうものなんだろうな、と今になって思う。
少し寂しいけれど。
中学生になった。
流石にドラゴンの服や小物は持たなくなったし、旅行先でも普通にご当地物をお土産に選ぶようになっていた。
…いや、”ご当地まりもっこり”とか買ってたな…。
あんまり成長できていないかも…。
興味の対象もスポーツとかゲームとか服とか、
普通の中学生らしいものに落ち着いていた。
それが本当に好きだったのか、周囲に合わせていたのかは定かではなかったけど。
ある時、祖父母が珍しく泊まりで旅行に行った。
農家を営んでいた彼らは畑仕事に忙しく、家を空けることも滅多に無かったからよく憶えている。
2泊程度の旅行から帰ってきたじいちゃんに呼ばれた。
僕にお土産があるらしい。
前述のとおり旅行に行くなんて珍しいから、その分お土産にも期待した。
会うたびに小遣いをくれる優しいじいちゃん。
土産となるといったいどんな物をくれるんだろう。
期待感にそわそわしていた僕に手渡されたのは、手のひらサイズの紙袋。
小さいわりにずっしりしている。
なんかこの紙袋のサイズ感と重量、
既視感というか凄く馴染み深さを感じる…。
恐る恐る開封する。
出てきたのは、手裏剣のキーホルダーだった。
金属製で、表面によくわからん漢字が彫られている。
その時の僕がまず思ったのは、
“なぜ剣やドラゴンではないのか”
ということだった。
いや、それだってとっくに昔の趣味だし。
そこにがっかりしてどうする。
期待していたのはご当地の美味しいものとかだったはずだ。
それでも、鈍く光る金属製の手裏剣を見て真っ先にそう感じた。
思い出す事すらなくなっていた剣やドラゴンへの愛情が、僕の中にまだ生き残っているとでもいうのか…?。
いや、でも、これが仮に手裏剣ではなくドラゴンだったとしても、それで僕は嬉しいのか?
一瞬のうちにそんなことをぐるぐる考えて、少し混乱した。
じいちゃんにはとりあえずお礼を言っておいた。
冷静になって考えてみる。
貰う側の立場でこんなことを言うのは良くないけど、中学生に渡すものとしては幼稚だ。
聞いていた旅行先と手裏剣は特に縁のある物でもない。
もちろんじいちゃんの趣味でもない。
だけど、わざわざそれを選んでくれたじいちゃん。
きっと、昔の僕がそんな感じのキーホルダーが好きだったのを、ずっと憶えてくれていたんだと思う。
じいちゃんからすれば手裏剣のキーホルダーも、剣やドラゴンのキーホルダーも同じような物だ。
滅多に行けない旅行の最中でも、じいちゃんは僕の事を想ってくれていた。
ありきたりなご当地物よりも、僕が好きなものを選んでくれていた。
旅行から帰ってきて、真っ先に僕にそれを渡してくれた。
それに気づいた時、
ドラゴンじゃないとか、幼稚だとかそんなことは本当にどうでも良くなった。
じいちゃんの気持ちが只々、本当に嬉しかった。
その時に、僕の中で”贈り物”に対する価値観が決定的に変わったように思う。
欲しいものや価値のあるものを貰うのはもちろん嬉しい。
でもそれ以上に、相手が自分の事を想ってくれた気持ちに何よりの価値がある。
物自体やその値段が一番ではない。
もちろん、相手が欲しいものを選ぶことも大事だし、気持ちだけで選ぶとありがた迷惑になってしまうこともある。
それでも僕は、その”気持ち”をちゃんと受け取って、大切にできる人間でありたいと思っている。
そんな当たり前の事を僕に教えて、気づかせてくれたのは、
じいちゃんと、剣やドラゴンのキーホルダー達と、手裏剣のキーホルダーだった。
祖父母の家から自宅に帰った僕は、学習机の引き出しを開けた。
雑多に詰め込まれた物を引っ張り出す。
暫くしてようやく探し出した、昔集めていたキーホルダー達。
鞘から抜け出た剣や、盾。やたらトゲトゲした造形のドラゴン。メッキが少しくすんでしまっている。
それらを軽くティッシュで拭き上げて、クッキーの空き缶に入れていく。
相変わらずジャラジャラしてきたその中に、じいちゃんがくれた手裏剣も入れる。
引き出しの取り出しやすい場所に、缶をしまい直した。
大人になって、お土産を貰うことも渡すことも随分増えた。
家族だったり、会社だったり。
毎回渡す相手の事を考えて選ぶのは結構大変で疲れる。
ついその場所の定番品で済ますことに逃げることも多い。
でも、土産物屋のキーホルダーとかのコーナーが目に入る度、
もう少し頑張って選んでみるか、と考え直す。
そこでは今も剣やドラゴンがジャラジャラと、
キラキラと光っている。
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