池袋駅の東口を出て少し歩いた場所に、中池袋公園というそこそこな大きさの広場みたいな公園がある。
大型の商業施設やシティホテルに囲まれた園内は石張り舗装になっていて、副都心の景色に溶け込んでいる。「アニメの聖地・池袋」の発信拠点としてアニメカフェなるものも園内に設置され、様々なイベントも催されるオープンスペースとして多くの人で賑わっている。
最近になって官民一体となって再開発されたこの場所は、街のイメージ的にも商業的にも成功を収めているようだ。
園内にあるフクロウの像も、心なしか嬉しそうに見える。
今となっては多くの人に愛されるそんな場所の傍を通り過ぎる度に僕は、どうしても、どうしようもない寂しさを抱えてしまっている。
どれだけの価値を人々に与えていたとしても、そこはもう僕の好きだった場所ではなくなってしまったからだ。
数年前まで中池袋公園は、特に何かがあるわけでもない冴えない公園だった。
あるものと言ったら十数本の公園樹と、狭い公衆トイレ、喫煙所、座るのに丁度いい高さの花壇くらい。
地面は舗装なんてされていない砂地で、雨の降る日は靴を汚した。
それでも建物とアスファルトだらけの池袋の街で、そこはなんだか落ち着ける場所だった。
僕が高田馬場で学生をしていた頃。
学校終わり、バイトの無い日は友人たちと池袋に遊びに来るのが定番だった。特別な目的がある日は少なくて、だいたいはぶらぶらとゲームセンターに寄ったり、安くて美味い店を探したり。
ひとしきり歩いた後は、この公園に寄ってだらだらタバコを吸いながら駄弁るのがお決まりの流れだった。
当時は公園の横にサークルKとドトールがあって、そこでタバコを買ったりコーヒーを飲んだりもした。貧乏学生が極まりすぎて喫茶店なんて殆ど利用したことが無かった僕は、いざドトールに入店するも注文の仕方からメニューの内容まで全然知らず、何となく雰囲気で注文したエスプレッソSサイズの余りの小ささに愕然としたのを覚えている。
少し話が逸れてしまったけど、何となくでもほぼ毎回この公園に足が向いていたあたり、意識したことはなくとも僕らはこの公園が好きだったんだと思う。どこに行っても人で溢れる池袋で、中池袋公園は人が少な目だったのも良かったのかもしれない。
その日もいつものようにタバコを吸いながら友達と駄弁っていると、ふと公園の入り口付近に何かがあるのに気付いた。それは正式名称はわからないけど「ぶら下がり健康機」みたいな遊具だった。僕の興味が無さ過ぎたのか風景に溶け込みすぎてしまっていたのか、それに気づくのが遅かったけれど、ずっとそこにあったようだ。
その時の僕は何を思ったのか、その下まで歩いて近づくとそのままそれにぶら下がり、勢いで逆上がりをかました。二連続で。
そういう遊具ではない。
少し離れた場所で友人たちが爆笑している。周囲にいた人達は僕の事を少し冷めた目で見ているか、そもそも気にも留めていない様子だった。
馬鹿な若者のその場のノリと言われたらそれまでだし実際その通りなんだけど、僕は謎の達成感と高揚感に包まれていた。今思い出しても意味がわからないけれど。
卒業して社会人になった。
働き始めてから予定が合わず友人たちと遊びに来る事はめっきり減ってしまったけれど、池袋には彼女(今の妻)とのデートでよく来ていた。
友人たちと遊んでいた頃とは廻る店も遊び場も変わったのに、帰り際になるとついその公園に足が向いてしまう。毎回の様にタバコを吸いに寄るものだから、彼女からは「タバコ公園」なんて不名誉な呼ばれ方をされる始末だった。それでも文句も言わずについてきてくれて、そこで一緒に一息つけるのを僕は嬉しく思っていた。
そんな中池袋公園も、来るたびになんだか人が増えてきていた。その多くは女性で、缶バッジやキーホルダーが大量に着けられたバッグを持っているのが目を引いた。どうやらすぐ近くにあるアニメイト本店の客らしい。
そのまま公園はその女性たちでごった返すようになった(男性の割合は非常に少なかった)。何かのイベントかってくらい人口密度の高い日もあった。
そこで彼女達はアニメイトで購入したグッズの交換をしているらしく、立地やスペース的に中池袋公園は都合のいい場所だったらしい。その内容はエスカレートしていき、しまいには地面に敷物を広げた上に大量のグッズが並べられ、ちょっとした即売会のようになっている有様だった。「野生のメルカリ」なんて呼ばれていたっけ。流石に自治体から問題視されて規制が入ったようだけど。
僕は人もまばらな状態が好きだったのもあって随分居心地が悪くなってしまったけれど、日が経てばこれも落ち着くだろうと楽観的に捉えていた。
そんな状態がしばらく続いたある日、いつものように公園に寄るとそこは高さのあるバリケードで覆われ、工事中の看板が立てられていた。書かれた工事の詳細と立ち入り禁止の文字に、悲しさと不安を覚えた。
その後公園がどうなったかは、冒頭で述べた通り。
広い木陰を作っていた樹木は数本まで減らされ、喫煙所は無くなり、あの逆上がりをした遊具も無くなった。
石張りで舗装され真っ白なカフェが建てられたその場所は確かに綺麗にはなったのだろうけど、僕の目には只、無機質に見えて仕方がない。
「野良で即売会をやられるくらいならいっそ公式でイベントスペースにしてしまえ」みたいな思惑があったのかは不明だが、結果的に公園は我が物顔で敷物を広げていた彼女たちの場所になった。
僕はオタクとされている人たちに偏見は無いし、自分がどちらかと言えばそっち寄りだとすら思っているけれど、この時ばかりは彼ら彼女らに怒りを覚えた。それがどうしようもない八つ当たりだと分かっていながら。
今と昔の公園を比べたら、多分多くの人が今の状態を好意的に思うのだろうし、自治体や企業にとってもそうなんだろう。僕が好きだったあの風景が戻ってくることは、無い。
それでもどこかに居るであろう、昔の中池袋公園が好きだった人々とその気持ちを共有したくてこれを書いた。
あの慎ましく、それでいて穏やかな風景を愛していた人がきっと他にもいたと信じたい。
あの日逆上がりした日を忘れられない、僕のように。
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