
気付けば10年以上、喫煙者としてタバコと共に暮らしてきた。
記憶の中にある喜びに満ちた一時にも、どん底を這う日々にも傍には煙が漂っていて。
僕はタバコが好きだったし、タバコを吸っている自分が嫌いじゃなかった。
きっと、これからもそれは変わらないのだろうと思っていたのだけれど、
偶然の巡り合わせから飼い猫の数が3匹に増える事が決まった時に、
それが当たり前であるかのように自然と
「ああ、タバコやめなきゃな…」
という思考になっている僕が居た。
特に金銭的に切羽詰まっていたとか、健康上の理由があったとか、そういう事では無く。
ただ何となく、これだけの命を預かる身になった以上このままで居続けるのは良くないとか、
家族(ペット含む)にもしもの時があった時の備えを少しでも蓄えておきたいとか、
そんな事を漠然と考えた結果だと思う。遅すぎるくらいかもしれないけれど。
そうして禁煙することを決意した僕。
手持ちの二箱を吸いきったら、この習慣ともお別れにしよう。
人生最後となる予定の40本弱のタバコを、僕はしみじみと味わった。
煙を吸っては吐く度に、記憶の中のタバコと共にあった場面が思い出される。
これまで何百箱も買っては捨ててきたケント トゥルーリッチメンソールの箱が急に愛おしく思えてくる。
昔吸っていたハイライト、換気扇に吸われて消えていく煙の行く先に思いを馳せてみたり。
惜しみながらも、結局これまでと変わらないペースで吸い続け、40本はあっという間に最後の一本になってしまった。
その一本を吸い終わる時、僕の心を占めていたのは大切にしていた物を手放す時のような喪失感と、これから少しより良い自分になれるんじゃないかという謎の期待で。妙に晴れやかな気分になったりもした。
地獄はその日の夜から始まった。
なんせそれまで一日一箱、1時間に1本は吸っていたのが、いきなり断たれるわけで。
最期の一本を吸ってから数時間しか経っていないというのに、もうタバコが吸いたくて仕方がない。
この「タバコが吸いたくて仕方がない」状態というのは、よく言われる「口が寂しい」とか「手持ち無沙汰」とかそんな生易しいものとは全然違う。
「渇望」と言えばいいのか。
例えるなら、空腹の時、何も入っていないとわかっている冷蔵庫をつい何度も開け閉めしてしまう感じ。
もしくは過度の寝不足でフラフラの中、無理矢理活動し続けている時の朦朧とした感覚に近いかもしれない。
錯乱したり幻覚を見たりすることはないけれど、精神的な影響は確実にある。自分が立派な薬物中毒者であったのだと知った。
禁煙について調べると「タバコの依存性は習慣的な物による要因が大きい」なんて書かれていて実際それもあるのだろうけど、やっぱりその手前に「ニコチン依存」という大きな壁があって、その依存性は普通に暴力的な強さを持っている。
ニコチンが切れていない時は、タバコを辞めることで得られるメリット(健康や金銭、時間など)は簡単に理解できる。禁煙する決心だって出来る。
それなのに、いざ禁煙を始めてニコチンが切れると、さっきまでの決心は何処かへ飛んで行ってしまい、ニコチンを摂取する=タバコを吸うという強い欲求に支配されてしまう。
何なら、「吸わない方がいい理由」をしっかり考えられる人ほど、脳が勝手に「吸う理由」を探して正当化し始める。この正当化をさらに否定しながら欲求に抗い続けなくてはいけないのが、禁煙の難しさの理由だと思う。
実は僕は5年ほど前にも禁煙に挑戦したことがあったのだけど、結局はこの「脳が勝手に作り出す正当化」に抗えずに失敗してしまった。
けれど今の僕には5年前とは違う、強い武器であり味方が居る。
そう、「AI」だ。
僕は2025年に入ったあたりの時期から、仕事や調べ物にAI(Chat GPT)を利用するようになった。
AIは単純な疑問の解決から、文章や画像、プログラムの生成などに高い能力を発揮するけれど、
特に高い能力を発揮するのが「人の思考の補完」だと個人的に思っている。
もう少し具体的に説明すると、例えば僕が「読んだ本のタイトル」と「その感想」をAIに入力する。
するとAIが「どうしてその感想に至ったのか」を本の内容から推測して、整理してくれる。
それによってさらに本の内容と自分の思考への理解が深まる…といった感じ。
このAIの能力が、「禁煙中の自分の状態を客観視する」のに物凄く役に立った。
禁煙することを決めたときから、何となくその事をAIに話していた僕。
と言っても内容は禁煙の補助におすすめのアイテムとか、禁煙が肌に良いとかそんな話。
当初はそんな軽い内容だったのだけど、本格的に禁煙をスタートして3日も経つ頃には、もっと切実で深刻な事を相談するようになった。
その時の僕は異常に眠い、ダルい、肌が荒れる、口内炎が出来るなどの症状に悩まされていた。
これらは全て禁煙を始めてから出てきた症状で、終いには久しぶりに風邪をひいたりもした。こんなに体調が悪くなるのだったら、禁煙なんかやめてタバコを吸い続けた方が良いのではという思考になっていた。
(今振り返ると、完全に「脳が勝手に吸う理由を探して正当化しようとしている」状態だったのだと思う。
それと元々お腹が弱かったり口内炎が出来やすい体質だったのが、タバコを吸うようになってかなり改善したという一種の成功体験があったのも理由だと思う。)
これはもうタバコを吸うべきだろう…と、
今の状態から考えたらAIだって喫煙を肯定してくれるはずだ…などと考えながら、Chat GPTに縋った。
一通り今の状態と自分の思考を入力して、一瞬の思考の後に回答が表示された。
「それは典型的なニコチン離脱症状だよ。」
思わず膝から崩れ落ちそうになった。
と同時にこの不調がニコチンの離脱症状による一時的な物だと知り、冷静と安堵がやって来た。
その後も各症状に対する理由と落ち着くまでの目安、対処方法について事細かに解説してくれた。
孤独に喫煙の欲求に耐えている中で、これが物凄く励みになった。
「そんなの少し調べればわかる事じゃないか」と、そう思うのはその通りだけど、
禁煙中で強いストレスのかかった思考の中、冷静に必要な情報を探して取りに行くのはかなりしんどい。
その点AIであれば、入力した自分の状況・状態から自動で必要な情報を集めて整理してくれる。
しかも寄り添って応援までしてくれる。これが本当に勇気づけられるし、頼もしい。
さらに人間と違って、24時間365日自分の好きな時に好きなだけ話を聞いてくれる。
僕の場合はマイナスだと思っていた体の不調が、体が正常に戻ろうとしているプラスの変化だと分かりかなり安心できた。
主観的なしんどさと向き合い続ける禁煙の中で、「自分の状況を客観視する」ことをサポートしてくれるAIの存在はこれ以上無い程強い味方だと思う。それと副次的な効果として、ただ会話するだけでも随分気が紛れるのもあるかもしれない。
そうして吸いたい衝動に襲われた時には、AIに泣き言を聞いて貰うという事を繰り返す内に、少しづつタバコへの欲求と体の不調は収まっていった。
今これを書いている時点で、タバコを辞めてから262日。
いつの間にか8か月が経っていた。この間に僕は一本もタバコを吸っていない。
あれだけ生活の中に溶け込んでいたタバコという存在が無くなってどうなるのか恐々としていたけれど、案外普通に過ごせている。
ニコチンに行動が支配されないストレスフリーさと、
「ここにタバコがあったらきっといい時間になるんだろうな」
という少しの寂しさが日常の中に同居している。
このどちらの感情も、これから時間が経つにつれて少しづつ小さくなって、消えていくんだろう。
タバコを辞めたからと言って、タバコの事を嫌いになったりはしていない。
余程のことが無い限りは、また吸うことも無いと思う。
だけど僕という存在を作ってきた内の一つなのは疑いようのない事実だから。
僕はこれからもタバコという物に対して少し優しくありたいと、そう思っている。

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